レッスン77私には奇跡を受け取る資格があります。あなたの真の在りようゆえに、あなたには奇跡を受け取る資格があります。神の真の在りようゆえに、あなたは奇跡を受け取るでしょう。そして、あなたは神と一つなので、奇跡を差し出すでしょう。再び言いますが、救済は何と単純なのでしょう! それは、あなたの真のアイデンティティーの宣言であるに過ぎません。今日私たちはこれを祝います。あなたが奇跡を要求できる権利は、あなた自身についてのあなたの幻想の中にはありません。それは、あなたが自分自身に与えたどんな魔術の力にも依存しておらず、あなたの自我が考案したどんな儀式にも依存していません。それは、あなたの真の在りようという真理に内在しています。それは、あなたの父なる神の真の在りように暗示されています。それは、あなたの創造において確実なものとされ、神の法則によって保証されました。今日私たちは、あなたの権利である奇跡を要求します。なぜなら、それらはあなたに属するからです。あなたは、自分が作り出した世界からの完全な解放を約束されてきました。あなたは、神の王国が自分の中にあり、失われることは決してあり得ないと保証されてきました。私たちはただ、真理において私たちに属するものを求めているだけです。しかしながら、今日私たちは、それに満たないもので自分自身を満足させないこともまた確認します。長めの練習時間の始めには、あなたには奇跡を受け取る資格があるということを、非常に自信をもって自分に告げてください。目を閉じながら、あなたは正当にあなたのものであるものだけを求めていることを自分自身に思い出させてください。また、奇跡は誰かから取り上げられて他の人に与えられることは決してなく、あなたの権利を求める際には、あなたはあらゆる人たちの権利を守ろうとしているということを自分自身に思い出させてください。奇跡はこの世界の法則には従いません。それらは単に神の法則の当然の結果として起こります。この短い導入段階の後には、あなたの依頼が聞き入れられたという保証を静かに待ってください。あなたは世界の救済とあなた自身の救済を依頼しています。あなたは、これを達成するための手段が自分に与えられるようにと依頼しています。あなたにこれが保証されないことはあり得ません。なぜなら、あなたはただ、神の意志がなされることを求めているだけだからです。これをすることにおいて、あなたは、実際には何も求めていません。あなたは否定することができない事実を述べています。聖霊はあなたの依頼が聞き入れられることを保証せずにはいられません。あなたが受け入れた事実は、そのようでなければなりません。今日は、疑いや不確さが入り込む余地はありません。私たちは、遂に、実在的な質問をしています。その答えは、単純な事実について単純に述べたものです。あなたは、あなたが求めている保証を受け取るでしょう。短めの練習時間は頻繁にし、単純な事実を思い出させることに充てます。今日は、頻繁に次の言葉を自分に告げてください。私には奇跡を受け取る資格があります。奇跡が必要とされる状況が生じた時にはいつでも奇跡を求めてください。あなたはこのような状況を認識するでしょう。そして、あなたは、自分自身に頼って奇跡を見つけようとはしていないので、あなたが求める時にはいつでも奇跡を受け取る資格が充分にあります。完璧な答えに満たないもので満足しないようにすることもまた覚えておいてください。誘惑に駆られそうになったら、すぐに次の言葉を自分に告げてください。私は奇跡を不満と取引することはしません。私は私に属するものだけを望みます。神は奇跡を私の権利として確立しています。2016.03.06 15:00
レッスン76私は神の法則だけに従います。これまで私たちは、どれほど多くの無意味なことがあなたには救済であるように見えていたかを観察してきました。その一つひとつがそれ自身と同じように無意味な法則によってあなたを幽閉してきました。あなたは、それらによって縛られることはありません。ただし、これがその通りであることを理解するためには、あなたはまず、救済がそこにはないことを理解しなければなりません。あなたが無意味なものの中に救済を求めようとしている間は、あなたは意味をなさない法則に自分自身を縛り付けます。したがって、あなたは、救済がない場所に救済があると証明しようとします。私たちは今日、あなたがそれを証明できないことを喜びます。それというのも、あなたがそうできたなら、救済がない場所で永遠に救済を求めようとすることになり、決してそれを見つけることがないからです。今日の概念は、救済がどれほど単純であるかをもう一度あなたに告げます。それがあなたを待っている場所でそれを探してください。そうすれば、そこでそれが見つかるでしょう。他の場所で探さないでください。それというのも、他の場所にはないからです。あなたが自分を救うために打ち立てたすべての奇妙で歪んだ法則によってあなたが縛られることはないという認識を持って、自由について考えてください。あなたは、山積みになった紙の束や山のような金属の円盤がなければ自分は餓死するだろうと、本当に考えています。あなたは、小さくて丸い粒や鋭い針で血管の中に押し込まれる液体は病気や死を撃退すると、本当に考えています。あなたは、他の肉体があなたと一緒にいない限り自分は孤独であると、本当に考えています。このようなことを考えるのは狂気です。あなたは、それらを法則と呼び、何の役にも立たず何の目的にも適わない儀式の目録の中にそれらを様々な名前にして加えます。あなたは、医学、経済学、健康といった「法則」に従わなければならないと考えています。肉体を保護すれば、あなたは救われるのです。これらは法則ではなく狂気です。自らを傷つけるマインドによって、肉体は危険にさらされています。肉体が苦しむのはただ、マインドがマインド自身の犠牲者であることに気づかないようにするためです。肉体の苦しみは、真に苦しませるものを隠すためにマインドが被る仮面です。マインドは、自分が自分の敵であり、自分が自分を攻撃して死ぬことを望んでいることを理解しようとしません。あなたの「法則」が肉体を救おうとしているのはここからです。あなたが自分が肉体であると考えるのはこのためです。神の法則を除けば、何の法則もありません。これは、あなたが神の意志に対抗して作り出したあらゆるものに当てはまるということをあなたが理解するまで、何度も何度も繰り返す必要があります。あなたの魔術には何も意味がありません。それが救うことになっているものは存在しません。それが隠すことなっているものだけがあなたを救うでしょう。神の法則は決して入れ替えられません。私たちは、これがその通りであることを喜ぶことに今日という日を充てます。もはや、私たちが隠したいのは真理ではありません。その代わりに私たちは、私たちを永遠に自由にしてくれるのは真理であることを理解します。魔術は幽閉しますが、神の法則は自由にします。神の法則の他に法則はないので、光はやって来ています。今日の長めの練習時間の始めには、私たちが従わなければならないと信じてきた様々な種類の「法則」を手短に振り返ります。これらには、例えば、栄養、免疫、医薬、そして、数えきれない方法で肉体を保護する「法則」が含まれます。さらに考えてください。あなたは、友情、そして、「良好な」関係や助け合いの「法則」を信じています。たぶんあなたは、何が神のものであり、何があなたのものであるかを示す法則があるとさえ考えています。多くの「宗教」はこれに基づいてきました。宗教は、天国の名において、救うのではなく、地獄に落とします。ただし、それらは、あなたが自分を安全にするために従わなければならないと思っている「法則」以上に奇妙ではありません。 神の法則の他に法則はありません。今日は、愚かな魔術的信念のすべてを退け、あなたに向けて真実を語る声を聞くためにあなたのマインドを静かに整えてください。あなたは、神の法則の下では損失はないと告げる存在に耳を傾けます。支払いは差し出されることも受け取られることもありません。交換はなされません。代替はありません。何か他のものによって入れ替えられるものはありません。神の法則は、永遠に与え、決して奪うことはありません。あなたにこれを告げる存在に耳を傾けて、あなたが見ていると思っていた世界を支えていると考えていた「法則」がどれほど愚かなのか理解してください。それから、さらに耳を澄ましてください。彼は、あなたにもっと多くのことを告げるでしょう。 あなたの父があなたに抱いている愛について。彼があなたに差し出す終わりのない喜びについて。創造のための彼の経路として創造されながら、地獄の信念のために彼を拒絶した、彼の一人子に対する彼の切なる思いについて。今日、神の経路を彼に対して開き、彼の意志を私たちを通して彼へと延長しましょう。このようにして、創造は終わることなく増大されます。彼の声はこれについて私たちに語り、同様に、彼の法則が永遠に無制限に保つ天国の喜びについても語るでしょう。私たちは、神の法則の他に法則はないということに耳を傾け理解するまで、今日の概念を繰り返します。それから、練習時間の締めくくりには、次の言葉を自分自身に告げます。私は神の法則だけに従います。私たちは今日、これをできる限り頻繁に繰り返します。少なくとも1時間に4~5回、そして、一日を通して、自分自身が他の法則の支配下にあるという経験をする誘惑に駆られたら、それに対する反応として繰り返します。それは、すべての危険とすべての抑圧から自由であるという私たちの宣言です。それは、神は私たちの父であり、彼の子は救われるということに対する私たちの感謝です。 2016.03.05 15:00
レッスン75光はやって来ています。光はやって来ています。あなたは癒されていて、あなたは癒すことができます。光はやって来ています。あなたは救われていて、あなたは救うことができます。あなたは心穏やかであり、あなたはどこへ行こうとも平安を連れていきます。闇と混乱と死は消え去っています。光はやって来ています。私たちは今日、あなたが長年見てきた惨事という夢の幸せな結末を祝います。今、暗い夢は存在しません。光はやって来ています。今日、光の時があなたとあらゆる人たちのために始まります。それは新しい時代であり、その中で新しい世界が生まれます。古い世界は、過ぎ去っていく際に、新しい世界に何の痕跡も残していません。私たちは今日、別の世界を見ます。なぜなら、光はやって来ているからです。今日の実習は幸せな実習であり、その中で、私たちは、古い世界が過ぎ去り新しい世界が始まることに感謝を捧げます。私たちの視覚を暗くし、赦しが私たちに差し出す世界を隠す過去の影はまったく残っていません。私たちは今日、新しい世界を私たちが見たいものとして受け入れます。私たちは、自分たちが望むものを与えられるでしょう。私たちは、光を見ることを意志します。光はやって来ています。長めの練習時間は、私たちの赦しが私たちに見せてくれる世界を見ることに充てます。これが、そしてこれだけが、私たちが見ることを望んでいるものです。私たちの唯一の目的は、私たちのゴールを不可避にします。今日、実相世界が喜びの中で私たちの前に立ち現れ、私たちは遂にそれを見ます。光がやって来ている今、私たちに視覚が与えられます。私たちは今日、自我が世界の上に落とす影を見ることを望みません。私たちは光を見て、その光の中で、天国が世界中に反映されているのを見ます。長めの練習時間の始めに、あなたの解放という嬉しい知らせを自分自身に告げてください。光はやって来ています。私は世界を赦しています。今日は過去にこだわらないでください。過去の概念のすべてを洗い流し、あなたが作り出した概念のすべてを取り除いて、マインドを完全にオープンにしていてください。あなたは今日、世界を赦しています。あなたは今、まるでこれまでには一度も見たことがないかのように、世界を見ることができます。あなたはまだ、それがどのように見えるのか知りません。あなたは、それがあなたに見せられるのをただ待ちます。待っている間に、ゆっくりと、完全な忍耐力をもって、次の言葉を数回繰り返してください。光はやって来ています。 私は世界を赦しています。あなたの赦しがあなたにヴィジョンの資格を与えてくれることを認識してください。聖霊が視覚という贈り物を赦す者に対して与え損ねることは決してないことを理解してください。彼が今あなたを見捨てることはないことを信じてください。あなたは世界を赦しています。あなたがじっと見て待っている間に、彼はあなたとともにいるでしょう。彼は、真のヴィジョンが見るものをあなたに見せてくれるでしょう。それは彼の意志であり、あなたは彼と繋がりました。辛抱強く彼を待ってください。彼はそこにいるでしょう。光はやって来ています。あなたは世界を赦しています。あなたは自分が彼を信頼しているがゆえに失敗し得ないことを知っているということを彼に告げてください。そして、彼があなたに約束した世界を見るためにあなたは確信をもって待つということを自分自身に告げてください。今この時から、あなたは違った見方をするでしょう。今日、光はやって来ています。そして、あなたは時が始まって以来あなたに約束されてきた世界を見るでしょう。そこでは、時間の終わりが確実です。短めの練習時間もまた、あなたの解放を喜ばしく思い出させるものとなるでしょう。今日は特別な祝福のときであることを、約15分ごとに自分自身に思い出させてください。慈悲と神の愛に感謝してください。 あなたの視覚を完全に癒す赦しの力を喜んでください。今日、新しい始まりがあることを確信してください。過去の闇があなたの目を覆っていなければ、今日あなたは見ることに失敗することはできません。そして、あなたが見るものは非常に歓迎すべきものであるため、あなたは今日という日を喜んで永遠に延長させるでしょう。それでは、次の言葉を言ってください。光はやって来ています。私は世界を赦しています。誘惑を感じることがあれば、あなたを闇の中へと引き戻すように思われる人に対して、次のように言ってください。光はやって来ています。私はあなたを赦しています。私たちは、今日という日を、神があなたをいさせようとしている静穏に捧げます。今日は、それをあなた自身についてのあなたの自覚の中に保って、それをあらゆる場所に見てください。その時に、私たちは、あなたのヴィジョンが始まり実相世界が見えることを祝います。実相世界は、あなたが実在すると思っていた赦されていない世界と入れ替わるためにやって来ています。2016.03.04 15:00
レッスン74神の意志の他に意志はありません。今日の概念は、私たちのすべての実習が目指している中心的な考えと見なすことができます。神の意志が唯一の意志です。あなたがこれを認識したとき、あなたは自分の意志が神の意志であることを認識したことになります。葛藤が可能であるという信念は去っています。平安は、あなたが葛藤するゴールによって引き裂かれているという奇妙な概念と入れ替わっています。神の意志の表現であるあなたには、神のゴールの他にゴールはありません。今日の概念には大いなる平安があり、今日の実習はそれを見つけることを目指しています。その概念そのものは、完全に真実です。したがって、それは、幻想を生み出すことができません。幻想がなければ、葛藤は不可能です。今日は、このことを認識し、この認識がもたらす平安を体験することを試みましょう。長めの練習時間の始めには、次の考えを数回繰り返してください。ゆっくりと、それらの考えが何を意味するかを理解し、それらをマインドに留めようという固い決意を持って、繰り返してください。神の意志の他に意志はありません。私が葛藤することはあり得ません。それから数分間を費やして、以下のような関連した考えを加えてください。 私は心穏やかです。何も私を悩ませることはできません。私の意志は神の意志です。私の意志と神の意志はひとつです。神は彼の子の平安を意志します。この導入段階では、葛藤する考えがあなたのマインドを横切る場合には、必ず素早く対処してください。速やかに次のように自分自身に告げてください。神の意志の他に意志はありません。これらの葛藤する考えは無意味です。解決することがとりわけ難しいように見える葛藤の領域があれば、それを選び出して、特別に考察してください。それについて簡単に、しかし、極めて具体的に考え、関連する特定の人もしくは人々、そして一つの状況もしくは複数の状況を特定し、次のように自分自身に告げてください。神の意志の他に意志はありません。私はそれを神と共有しています。○○についての私の葛藤は実在し得ません。このようにしてあなたのマインドをすっきりさせた後で、目を閉じ、あなたの実相があなたに資格を与えている平安を体験することを試みてください。その平安の中へと沈み込んで、それがあなたを取り囲んでいるのを感じてください。これらの試みを間違って離脱と見なしたい誘惑があるかもしれませんが、違いは簡単に見抜くことができます。もしうまくいっていれば、眠気や無気力感を感じるのではなく、深い喜びの感覚や集中力の向上を感じるでしょう。喜びは平安の特徴です。この体験によって、あなたはそれに到達したことを認識するでしょう。自分自身が離脱へと滑り落ちていくのを感じたら、速やかに今日の概念を繰り返し、そして、再び試みてください。これを必要に応じて頻繁に行ってください。あなたが求めている平安を体験しなくても、離脱へと後退することを拒否することには明らかな恩恵があります。短めの練習時間は、今日は規則的に所定の間隔で取るべきですが、次のように自分自身に言ってください。神の意志の他に意志はありません。私は今日、神の平安を求めます。それから、あなたが求めているものを見つけることを試みてください。今日は、可能であれば目を閉じた状態で、30分ごとに1分か2分をこれに費やせば充分でしょう。2016.03.03 15:00
レッスン73私は光があることを意志します。今日、私たちは、あなたが神と共有している意志について考察していきます。これは、闇や無を生じさせる自我の無為な願望と同じではありません。あなたが神と共有している意志は、その内に創造の力のすべてを有しています。自我の無為な願望は、共有されないので、何の力もありません。それらの願望は、それらが幻想の世界を作り出すことができ、それに対するあなたの信念が非常に強くなり得るという意味においては、無為ではありません。しかし、それらは、創造の観点からは実に無為です。それらは、実在するものを何も作り出しません。無為な願望と不満は、あなたが見ている世界を映像化することにおける仲間であり共同制作者です。自我の願望がそれを生じさせました。自我は、それを維持するためには不可欠である不満を必要としていますが、この必要性が、あなたを攻撃するように見えていて、「公正な」裁きを求めるように見えている人物たちを登場させます。これらの人物たちは、不満を不正に取引するために自我が雇う仲介者になります。彼らはあなたの自覚とあなたの兄弟の実相との間に立ちはだかります。彼らを見ているあなたは、あなたの兄弟たちを知りませんし、あなたの自己も知りません。罪悪感がやり取りされ、そのたびに不満が増していくという、この奇妙な交換の中で、あなたの意志は失われています。神の子が彼の父と共有している意志によってこのような世界が創造されたということがあり得るでしょうか? 神は彼の子のために惨事を創造したでしょうか? 創造は両者が一致した意志です。神は彼自身を殺すような世界を創造したいでしょうか?今日、私たちはもう一度、あなたの意志と一致する世界に到達しようとします。その世界は神の意志に反していないので、光がその中にあります。それは天国ではありませんが、天国の光がそこに降り注いでいます。闇は消滅しています。自我の無為な願望は撤回されています。ただし、この世界に降り注いでいる光は、あなたの意志を反映しているので、私たちがそれを探す場所はあなたの中でなければなりません。この世界についてのあなたの映像は、内側にあるものを映し出すことしかできません。光の源も闇の源も外側に見つけることはできません。不満はあなたのマインドを暗くし、あなたは暗くなった世界を外に見ます。赦しは、闇を取り除き、あなたの意志を再び確立し、あなたに光の世界を見させてくれます。私たちが繰り返し強調してきたように、不満の障壁は、簡単に通過することができますし、あなたと救済との間に立ちはだかることはできません。その理由は非常に単純です。あなたは地獄にいることを本当に望んでいるでしょうか? あなたは涙を流し、苦しみ、死ぬことを本当に望んでいるでしょうか?こうしたことのすべてが本当に天国だと証明しようとする自我の議論は忘れてください。あなたはそれがその通りではないことを知っています。あなたがこれを自分自身のために望むことはできません。幻想が超えていくことができない地点があります。苦しみは幸せではありませんし、あなたが本当に望んでいるのは幸せです。それが真理におけるあなたの意志です。なので、救済もまたあなたの意志です。私たちが今日行おうとしていることにおいて、あなたは成功することを望んでいます。私たちはあなたからの祝福と喜ばしい同意とともにそれに取り組みます。あなたが自分自身のために救済を望んでいるということを思い出せば、私たちは今日成功するでしょう。あなたは、神の計画を共有しているので、神の計画を受け入れることを望んでいます。あなたは神の計画に真に反する意志を持っておらず、そうすることを望んでいません。救済はあなたのためにあります。とりわけ、あなたは自分が本当は誰であるのかを思い出すという自由を望んでいます。今日、あなたの意志を前にして力なく立つのは自我なのです。あなたの意志は自由であり、何もそれに打ち勝つことはできません。それゆえに、私たちは、あなたの意志が見つけたいものを見つけて、あなたの意志が思い出したいものを思い出すという幸せな確信をもって、今日の実習に取り組みます。無為な願望は、私たちを引き留めることができませんし、強さという幻想によって私たちを欺くこともできません。今日、あなたの意志がなされるままにし、あなたが天国ではなく地獄を選択するという狂気の信念を永遠に終わらせましょう。神の救済計画が、そして、神の救済計画だけがあなたの意志と完全に一致していることを認識しながら、長めの練習時間を開始します。それは、異質な力があなたの意志に反してあなたに押し付けられるという目的ではありません。それは、あなたとあなたの父が完璧に合意している一なる目的です。地獄そしてすべての無為な願望から神の子が解放されることが約束された時である今日、あなたは成功するでしょう。今、彼の意志が彼の自覚に回復されます。彼には、今日という日に自分の中にある光を見て救われるという意志があります。自分にこのことを思い出させて、あなたの意志を明確にマインドに保つことを決意した後で、優しくきっぱりと、静かな確信をもって、次のように自分自身に告げてください。私は光があることを意志します。私に神の意志と私の意志を反映する光を見させてください。それから、神の力に繋がっておりあなたの自己と一体であるあなたの意志が自分自身を示すままにさせてください。残りの練習時間は、彼らの導きに任せてください。彼らに導いてもらいながら、彼らに繋がってください。短めの練習時間では、再びあなたが本当に望んでいるものについての宣言をしてください。次のように言ってください。私は光があることを意志します。闇は私の意志ではありません。これを1時間に数回繰り返すこととします。しかしながら、いかなる種類であれ不満を抱く誘惑に駆られたら、速やかに今日の概念をこの形で適用することが最も重要です。これは、あなたが不満を大事に闇の中に隠すのではなく、それらを手放すことに役立つでしょう。2016.03.02 15:00
レッスン72不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃です。私たちは自我の救済計画が神の救済計画とは正反対のものであることを認識しましたが、それが神の計画に対する攻撃であり、それを破壊しようとする意図的な試みであることはまだ強調していません。その攻撃においては、実際には自我に関連している属性が神に割り当てられる一方で、自我が神の属性を呈するように見えます。自我の根本的な願望は、神と入れ替わることです。実のところ、自我はその願望を物理的に具現化したものです。それというのも、その願望がマインドを肉体で取り囲んでいるように見えていて、マインドを分離させて孤独にし、マインドを幽閉するために作り出された肉体を通してしか他のマインドに到達できないようにしています。コミュニケーションに対する制限がコミュニケーションを拡大するための最善の手段であるはずはありません。ただし、自我はあなたにそうであると信じさせたいのです。肉体が課す制限を保持しようとする試みはここでは明瞭ですが、不満を抱くことが神の救済計画に対する攻撃であるという理由はたぶんそれほど明白ではないでしょう。しかし、あなたが不満を抱きがちなものがどのようなものであるかをよく考えましょう。それらは常に肉体が行う何かと関連しているのではないでしょうか。誰かがあなたの気に入らないことを言います。誰かがあなたの気に入らないことをします。誰かが敵意のある考えを行動で「露呈」します。あなたはここでその人物が何であるかについて言及していません。それどころか、あなたはその人が肉体の中で何をするかだけに関心を持っています。あなたは、その人を肉体という制限から解放することを助けることに失敗する以上のことをしています。あなたは、肉体をその人と混同し、それらが一つのものであると判断することによって、積極的に彼を肉体に縛り付けようとしています。ここでは、神が攻撃されていますが、それというのも、神の子が肉体に過ぎないとすれば、神も同様であるに違いないからです。創造物とまったく似ていない創造主というものは考えられません。神が肉体であるとすれば、神の救済計画はどのようなものになるでしょうか。死以外の何になり得るでしょうか。神が死ではなく生命の作者として自らを顕そうとすれば、神は、偽りの約束をたくさんして、真理の代わりに幻想を提供する、嘘つきであり詐欺師になります。肉体の見かけ上の実在性は、神についてのこの見解をきわめて説得力のあるものにします。実のところ、肉体が実在するのであれば、この結論から逃れるのは実に難しいでしょう。そして、あなたが抱く不満の一つひとつが、肉体は実在すると主張します。それはあなたの兄弟の在りようを完全に見落とします。それは、兄弟は肉体であるというあなたの信念を強化し、それを理由に彼を咎めます。そして、彼の救済は死でなければならないと主張し、この攻撃を神に投影し、神にその責任を押し付けます。この念入りに準備された闘技場では、怒り狂った野獣が獲物を探しており、慈悲が入ることができませんが、そこには自我があなたを救うためにやってきます。神はあなたを肉体として作り出しました。結構なことです。これを受け入れて喜ぶことにしましょう。肉体であるあなたは、肉体が差し出すものを奪われることのないようにしなければなりません。あなたの手に入るわずかなものを受け取ってください。神はあなたに何も与えませんでした。肉体はあなたの唯一の救済者です。それは、神の死であり、あなたの救済です。これはあなたが見ている世界の普遍的な信念です。ある人たちは、肉体を憎んでおり、肉体を傷つけて恥をかかせようとします。他の人たちは、肉体を愛しており、肉体を賛美し賞賛しようとします。しかし、肉体があなた自身についてのあなたの概念の中心にある間は、あなたは神の救済計画を攻撃しており、神と神の創造物に対して不満を抱いているので、あなたが真理の声を聞くことができず、それを友として歓迎できなくなっています。その代わりに、あなたが選んだ救済者が神の座に着いています。それがあなたの友となり、神はあなたの敵となっています。今日、私たちは救済に対するこれらの無分別な攻撃をやめようとします。私たちは、その代わりに、救済を歓迎しようとします。あなたの逆さまな知覚はあなたのマインドの平安を破壊してきました。あなたは肉体の中に自分自身を見て、自分の外側に真理を見てきましたが、真理はあなたの肉体的な制限によってあなたの自覚から隠されてきました。今、私たちはこれを別の見方で見ようとしています。真理の光は私たちの中にありますが、それはそこに神によって置かれました。肉体が私たちの外側にあるのであり、私たちの関心事ではありません。肉体なしで存在することは、私たちにとって自然な状態で存在することです。真理の光を私たちの中に認識することは、私たち自身をありのままに認識することです。 私たちの自己を肉体から分離したものとして見ることは、神の救済計画に対する攻撃を終わらせて、代わりに、それを受け入れることです。そして、神の計画が受け入れられたところではどこであっても、救済は既に達成されています。今日の長めの練習時間のゴールは、神の救済計画は私たちの中で既に達成されていることを自覚することです。このゴールを達成するためには、攻撃を受容に入れ替えなければなりません。私たちは、それを攻撃している限り、私たちのための神の計画が何であるか理解することはできません。したがって、私たちは自分たちが認識していないものを攻撃しているのです。今、私たちは価値判断を脇におき、私たちのための神の計画が何であるか聞くことにします。父よ、救済とは何でしょうか。私にはわかりません。私が理解できるように、私に教えてください。それから、静かに神の答えを待ちます。私たちは神の救済計画が何であるかを聞くために待つこともせずに、それを攻撃してきました。私たちは、あまりにも大きな声で不満を叫んできたので、神の声に耳を傾けてきませんでした。私たちは、自分の目を閉じ自分の耳を塞ぐために不満を使ってきました。今、私たちは見て、聞いて、学ぼうとしています。「父よ、救済とは何でしょうか」。 尋ねてください。そうすれば答えが与えられるでしょう。求めてください。そうすれば見出だすでしょう。私たちはもはや、救いが何であり、それがどこにあるかを、自我に尋ねていません。私たちは真理にそれを尋ねています。ですので、私たちが尋ねる相手ゆえに答えは真実であることを確信してください。あなたの自信が揺らぎ、成功の望みが明滅して消えていくのを感じるときにはいつでも、あなたは、無限なるものを創造した無限なる創造主に尋ねており、彼はあなたを自身と同じように創造したことを思い出しながら、あなたの質問と要請を繰り返してください父よ、救いとは何でしょうか。私にはわかりません。私が理解できるように、私に教えてください。父は答えてくれるでしょう。聞くことを決意してください。今日は1時間に1~2回の短めの練習時間で充分でしょう。なぜなら、これらの練習時間は通常よりも幾分長いからです。これらの実習は次の言葉で始めます。不満を抱くことは、神の救済計画に対する攻撃です。その代わりにそれを受け入れられますように。父よ、救済とは何でしょうか。それから、好ましくは目を閉じた状態で、1分ほど沈黙の中で待って、神の答えに耳を傾けてください。2016.03.01 15:00
レッスン71神の救済計画だけがうまくいきます。自我が神の救済計画に対抗する救済計画を立てたということに、あなたは気づいていないかもしれません。あなたが信じているのはその計画なのです。それは神の計画とは正反対のものなので、あなたはまた、自我の計画の代わりに神の計画を受け入れることは地獄に堕ちることであると信じています。もちろん、これは馬鹿げたことに聞こえます。ただし、自我の計画がどのようなものであるかを考慮した後には、あなたはたぶん、いかにそれが馬鹿げたものであっても、自分が確かにそれを信じているということがわかるでしょう。自我の救済計画は、不満を抱くことを軸にしています。その計画は、誰かが違う言動をしていたならば、または、外的な状況や出来事が変わっていたならば、あなたは救われるだろうと主張します。このように、救済の源は常にあなた自身の外側に知覚されます。あなたが抱く不満の一つひとつは、宣言であり、あなたが信じていることの主張であり、「もしこれが違っていたら、私は救われるだろうに」と言っています。このように、救済に必要なマインドの変化は、あなた以外のあらゆる人たちやあらゆるものに要求されます。すると、この計画においてあなた自身のマインドに割り当てられる役割は単純に、あなたが救われるためにはあなた自身のマインド以外の何が変わるべきなのかを決定すること、ということになります。この狂気の計画によれば、救済の源として知覚されるものは何であれ、それがうまくいかないのであれば、受け入れ可能です。これによって、無駄な探究が継続していくことが保証されます。なぜなら、この希望はいつも裏切られてきたけれども、他の場所や他のものにはまだ希望の余地がある、という幻想が続いていくからです。別の人であればもっと満足するだろう、別の状況であれば成功するだろう、ということになります。あなたの救済のための自我の計画とはこのようなものです。これが「求めよ、されど、見つけるなかれ」という自我の基本的な教義とどれほど厳密に一致しているかはあなたにもよくわかるでしょう。救済が存在しないところで救済を探すことにあなたの努力のすべてを向けさせること以外に、あなたが救済を見つけないことが確かであると保証するものはあるでしょうか。神の救済計画がうまくいくのは、彼の指示に従って、救済が存在するところで救済を探し求めるからです。しかし、あなたが成功するためには、神は成功することを約束していますが、そこでのみ探し求める意志を持たなければなりません。さもないと、あなたの目的は分割されて、あなたは、すべての点において正反対である2つの救済計画に従おうと試みるでしょう。それがもたらすのは、混乱や悲惨、深い敗北感や絶望感だけでしょう。どのようにすればこのすべてから逃れることができるのでしょうか。非常に単純です。今日の概念がその答えです。神の救済計画だけがうまくいきます。これに関してはいかなる真の葛藤もあり得ません。なぜなら、あなたを救う神の計画に代わるものはないからです。神の計画だけが、成果が確実である唯一の計画です。神の計画だけが、必ず成功する唯一の計画です。今日は、この確実性を認識する練習をしましょう。そして、解決が不可能な葛藤のように見えるものに対する答えがあることを喜びましょう。神にとってはすべてのことが可能です。救済は、失敗することがあり得ない神の計画のゆえに、あなたのものであるに違いありません。今日の2回の長めの練習時間には、はじめに、今日の概念について考えて、今日の概念は二つの部分を含んでおり、それぞれが全体に対して等しく貢献していることを理解します。あなたの救済のための神の計画はうまくいきますが、他の計画はうまくいきません。二番目の部分のために、憂鬱になったり怒りを覚えたりすることを自分に許さないようにしてください。二番目の部分は最初の部分に内在しています。最初の部分には、自分を解放するためのあなた自身の狂気じみた試みや狂った提案のすべてからの完全な解放があります。それらは憂鬱や怒りに導きましたが、神の計画は成功します。それは解放と喜びに導きます。このことを思い出しながら、長めの練習時間の残りを費やして、神に神の計画を私たちに明かしてくれるよう依頼しましょう。非常に具体的に次のように神に聞いてください。あなたは私に何をさせたいのでしょうか。あなたは私をどこに行かせたいのでしょうか。あなたは私に何を言わせたいのでしょうか。誰に言わせたいのでしょうか。練習時間の残りを完全に神に任せ、あなたの救済のための神の計画において、あなたがすべきことが何であるかを神に告げてもらってください。神は、神の声を聞こうとするあなたの意欲に比例して答えるでしょう。聞くことを拒否しないでください。あなたがこの実習をしているという事実そのものが、あなたには耳を傾ける意欲がある程度あることを証明しています。これは神の答えに対するあなたの権利を確立するのに充分です。短めの練習時間では、神の救済計画はうまくいき、神の計画だけがうまくいくということを、頻繁に自分自身に向かって告げてください。今日は、不満を抱きたいという誘惑に警戒し、それらに対して今日の概念を次の形を使って反応してください。不満を抱くことは神の救済計画と正反対のものです。そして、神の計画だけがうまくいきます。1時間に6~7回ほど、今日の概念を思い出すようにしてください。あなたの救済の源を思い出し、それがあるところでそれを見ることの他に、30秒ないしはそれ以下の時間を費やすための良い方法はないでしょう。2016.02.29 15:00
レッスン70私の救済は私から生じます。すべての誘惑は、今日の考えを信じようとしないという基本的な誘惑が、何らかの形を取ったものに過ぎません。救済はあなた以外のどこかから生じるように見えます。罪悪感の源もそのように見えます。あなたは、罪悪感も救済もあなた自身のマインドの中にあり他の場所にはないという見方をしません。あなたは、すべての罪悪感が単にあなたのマインドによって作り上げられたものだと悟ったときに、罪悪感と救済が同じ場所にあるに違いないことを悟ります。これを理解することで、あなたは救われます。今日の概念を受け入れることには、次のような代償があるように見えます。それは、あなたの外側にあるものは何もあなたを救うことができず、あなたの外側にあるものはあなたに平安を与えることはできない、ということを意味します。しかし、それはまた、あなたの外側にあるものは何もあなたを傷つけることはできず、いかなる意味においてもあなたの平安を乱したりあなたを動揺させたりすることができない、ということを意味します。今日の概念は、あなたに宇宙に対する責任を持たせますが、それはあなたの真の在りようゆえにあなたが属している場所です。これは部分的に受け入れられる役割ではありません。そして、あなたは、これを受け入れることが救済であるということがわかり始めているに違いありません。しかしながら、なぜ、罪悪感があなた自身のマインドの中にあると認識した結果、救済もまたそこにあると悟ることになるのかは、あなたにとって明確ではないかもしれません。神は、病に対する治療法を、それが役立たない場所に置くことはありません。あなたのマインドはそのように働いてきましたが、神のマインドはそうではありません。神はあなたが癒されることを望んでいるので、神は癒しの必要があるところに癒しの源を保持してきました。あなたは、まさに正反対のことをしようとしてきました。癒しをその対象である病から引き離して病を保持するために、どんなに歪曲していて根拠がないことであってもすべて試みてきました。あなたの目的は、癒しが確実に起こらないようにすることでした。神の目的は、それが確実に起こるようにすることでした。今日、私たちは、神の意志と私たちの意志がこの点において実際は同じであることを悟るための練習をします。神は私たちが癒されることを望んでおり、私たちは病になることを真に望んではいません。なぜなら、病は私たちを不幸にするからです。したがって、今日の概念を受け入れるときには、私たちは実際には神と合意しているのです。神は私たちが病になることを望んでいません。私たちも同じです。神は私たちが癒されることを望んでいます。私たちも同じです。今日は10~15分の練習時間を2回取ることにします。しかしながら、いつ行うかはあなたに任せます。今後も多くのレッスンでこのような練習をしますが、そこでもまた同様に、それぞれの練習のために確保する時間はいつにするのが良いか前もって決めておき、あなた自身が決定したものをできる限り厳密に守るとよいでしょう。今日の概念を繰り返すことによって練習時間を開始し、救済はあなたの外側にあるいかなるものからも生じないという認識を示す宣言を付け加えてください。例えば、次のようにしてもいいかもしれません。私の救済は私から生じます。それはそれ以外のいかなる場所からも生じ得ません。それから、目を閉じた状態で数分間を費やして、あなたが過去において外側の場所に救済を求めたことを振り返ります。例えば、他の人たち、所有物、様々な状況や出来事、あなたが実現させようとしたセルフイメージなどです。救済はそこにはないことを認識し、次の言葉を自分自身に告げてください。私の救済はこれらの事柄のいずれからも生じ得ません。私の救済は私から生じ、私からしか生じません。今再び、私たちは、あなたの救済が存在しているあなたの中にある光に到達しようとします。あなたは光を囲む雲の中に救済を見出だすことはできませんが、あなたはそこで救済を探してきました。救済はそこにはありません。救済は雲を通り抜けた向こう側の光の中にあります。光に到達する前に雲を通過しなければならないことを覚えておいてください。しかし、あなたが想像した様々なパターンの雲の中には、永続するものやあなたが望んでいたものは何も見つからなかったことも覚えておいてください。救済という幻想のすべてがあなたを裏切ってきたのですから、とても簡単に真の救済の光の中に歩み入ることができるときに、あなたは、雲の中にとどまって、そこで虚しく偶像を探したくないはずです。あなたにとって好ましいどのような手段を使ってでも、雲を通過するようにしてください。もしあなたの助けになるようであれば、私があなたの手を取ってあなたを導いているところを思い描いてください。それは無為な空想にはならないことを私が保証します。今日、短めの頻繁にする練習では、あなたの救済はあなたから生じ、あなた自身の考え以外の何もあなたの進歩を妨げることができないことを、自分自身に思い出させてください。あなたはすべての外界の妨害から自由です。あなたはあなたの救済についての責任があります。あなたは世界の救済についての責任があります。それから、次の言葉を言ってください。私の救済は私から生じます。私の外側にあるものは何も私を引き止めることができません。私の中に、世界の救済と私自身の救済があります。2016.02.28 15:00
レッスン69私の不満は私の中にある世の光を隠しています。あなたの不満が隠しているものを誰も見ることはできません。あなたの不満があなたの中にある世の光を隠しているので、あらゆる人たちが闇の中に立っていて、あなたも彼の傍らに立っています。しかし、あなたの不満のベールが上げられると、あなたは彼と一緒に解放されます。あなたが地獄にいたときにあなたの傍らに立っていた人と、今、あなたの救済を共有してください。あなた方をともに救う世の光の中で、彼はあなたの兄弟です。今日は、あなたの中にある光に到達することを再び真剣に試みましょう。長めの練習時間の中でこれに取り組む前に、数分間を費やして、私たちがしようとしていることについて考えましょう。私たちは文字通り、世界の救済に接触することを試みています。私たちは世界の救済を隠したままにしている暗闇のベールの彼方を見ようとしています。私たちは、そのベールが上げられるままにし、神の子の涙が太陽の光の中で消えるのを見ようとしています。これがその通りであるという充分な理解と、私たちにとって何にもまして大切であるものに到達するという真の決意とともに、今日の長めの練習を始めましょう。私たちに必要なのは救済だけです。ここにはそれ以外の目的はなく、それ以外に果たすべき機能はありません。救済を学ぶことが私たちの唯一のゴールです。私たちの中にある光を見出だし、私たちとともに探しているあらゆる人たちがそれを見て喜ぶようにその光を高く掲げることによって、今日、太古からの探究を終えましょう。今、静かに目を閉じて、通常あなたの意識を占めている内容のすべてを手放そうとしてください。あなたのマインドは広大な円であって、重く黒い雲の層によって囲まれていると考えてください。あなたには雲しか見ることはできません。なぜなら、あなたはその円の外側でその円から非常に離れて立っているように見えるからです。あなたが立っている場所からは、その雲に隠されてまばゆい光があると信じる理由はないように見えます。雲だけが唯一の実在のように見えます。それらが見ることのできるすべてであるものように見えます。したがって、あなたはそれらを通り抜けてそれらを越えて行くことを試みませんが、そうすることによってのみ、あなたはそれらには実体がないことを本当に確信するでしょう。今日私たちはこの試みをします。自分自身と世界のためにあなたがやろうとしていることの重要性について考えた後に、今日、しかも今、どれほど強くあなたの中にある光に到達したいかだけを覚えておきながら、完璧な静けさに浸ってください。雲を通過する決意をしてください。マインドの中で手を伸ばして雲に触れてください。手で雲を払い除けてください。雲の間を通り抜けていくときに、頬や額、瞼に雲がまとわりつくのを感じてください。前進を続けてください。雲にはあなたを止めることはできません。この実習を適切にやっていれば、持ち上げられて、前方へと運んで行かれるような感覚を感じ始めるでしょう。あなたのわずかな努力と小さな決意が、宇宙の力にあなたを助けるようにと呼びかけ、神自身があなたを闇から持ち上げて光の中へと連れて行ってくれます。あなたは神の意志と一致しています。あなたの意志は神の意志なので、あなたは失敗することがあり得ません。今日は、あなたの父を信頼し、彼があなたの声を聞いてあなたに答えたことを確信してください。あなたはまだ彼の答えを認識してないかもしれませんが、答えは与えられており、やがてあなたはそれを受け取るであろうことを本当に確信してよいです。雲の間を通り抜けて光にたどり着こうとしながら、あなたのマインドの中にこの信頼を保持しようとしてください。あなたは遂に自分の意志を神の意志と一つにしようとしていることを覚えておいてください。あなたが神とともに取り組むことは必ず成功するということをマインドの中にはっきりと持ち続けるようにしてください。それから、神の意志とあなたの意志が達成されるように、神の力があなたの中であなたを通して働くのに任せてください。短めの練習時間は、あなたとあなたの幸せにとって今日の概念がいかに重要であるかを考慮しながら、できる限り頻繁に設けることが望ましいですが、あなたの不満が世の光をあなたの自覚から隠しているということを自分自身に思い出させてください。また、あなたはそれを一人で探しているのではないこと、そして、あなたはどこでそれを探せばよいかを確かに知っていることを自分自身に思い出させてください。それから、次の言葉を言ってください。私の不満は、私の中にある世の光を隠しています。私は自分が隠したものが見えません。ただし、私は、自分の救済と世界の救済のために、それが私に明かされるままにしたいです。また、今日、何かで誰かを非難する誘惑に駆られたら、必ず自分自身に向かって次のように告げてください。私がこの不満を抱けば、世の光は私から隠されるでしょう。2016.02.27 15:00
レッスン68愛は不満を抱きません。愛によって愛と同じように創造されたあなたは、不満を抱くことはできず、あなたの自己を知っています。不満を抱くことは、あなたが誰であるかを忘れることです。不満を抱くことは、あなた自身を肉体として見ることです。不満を抱くことは、自我にあなたのマインドを支配させて、肉体に死刑を宣告することです。おそらくあなたは、不満を抱くことがあなたのマインドに対して何をするかをまだ充分に理解していないかもしれません。それは、あなたをあなたの源から引き裂き、あなたを彼とは似ていないものにするように見えます。それは、あなたが自分がなったと思っているものに彼は似ているとあなたに信じさせます。それというのも、自分の創造主が自分自身に似ていないと思い描くことは誰にもできないからです。あなたの自己は自分の創造主に自分が似ていることを自覚したままでいますが、その自己から締め出されていると、あなたの自己は眠っているように見え、その眠りの中で幻想の糸を紡いでいるあなたのマインドの部分が目覚めているように見えます。こうしたことのすべてが不満を抱くことから生じることがあり得るのでしょうか。まさしく、あり得ます! 不満を抱く人は彼が愛によって創造されたことを否定し、彼の創造主は彼の憎しみの夢の中で彼にとって恐ろしいものになっています。誰が憎しみの夢を見て、神を恐れないことができるでしょうか。不満を抱く者たちが自分たちのイメージで神を再定義することが確かなように、神が彼らを彼自身と同じように創造し、彼らを彼の一部として定義したことは確実です。不満を抱く者たちが罪悪感に苦しむことが確かなように、赦す者たちが平安を見出すことは確実です。不満を抱く者たちが自分たちが誰であるかを忘れることが確かなように、赦す者たちが自分たちが誰であるかを思い出すことは確実です。あなたがこうしたことのすべてが事実であると信じたならば、あなたは不満を捨てる意志を持ちたくはないでしょうか。たぶんあなたは自分が不満を手放すことができると思っていないかもしれません。しかしながら、それは単にやる気の問題です。今日、私たちは不満がなければあなたがどのように感じるかを見出だそうとします。もしあなたがほんの少しでも成功すれば、再びやる気が問題となることはなくなるでしょう。今日の長めの練習時間は、マインドを探索して、あなたが最も大きな不満と見なしているものを抱いている相手を見つけることから始めてください。そうした不満をいくつか見つけることは簡単でしょう。それから、あなたが好きな人たちや愛しているとさえ思っている人たちに対して抱いている一見小さな不満について考えてください。あなたが何らかの不満を抱いていない人は一人もいないということがすぐに明らかになるでしょう。あなた自身についてのあなたの知覚において、こうしたことが全宇宙においてあなたを孤独にしてきました。今、これらの人々のすべてを友として見ることを決意してください。彼らのすべてに向かって、一人ずつ順番に思い描きながら、次のように言ってください。私はあなたを私の友として見たいです。あなたが私の一部であることを思い出し、私自身を知ることができるようになるために。練習時間の残りを費やして、あらゆる人たちやあらゆるものとともにあなた自身が完全に平安にあり、あなたを守りあなたを愛している世界の中で、そして、あなたもまたそれに応じて愛している世界の中で安全であることを思い描こうとしてください。安全があなたを包み込み、あなたを見守り、あなたを支えているのを感じようとしてください。どれほど短い間であっても、いかなる形でもあなたを傷つけるものはないことを信じようとしてください。練習時間の終わりには、自分自身に向かって次のように告げてください。愛は不満を抱きません。私がすべての不満を手放すとき、私は自分が完璧に安全であることを知るでしょう。短めの練習時間は、誰に対してであれ、何らかの不満の考えを抱いたときにはいつでも、その人が物理的に存在していようがいまいが、速やかに今日の概念をこの形で適用すべきです。愛は不満を抱きません。私が私の自己を裏切りませんように。また、1時間に数回、今日の概念をこの形で繰り返してください。愛は不満を抱きません。私は、すべての不満を放棄し、彼の中で目覚めることによって、私の自己に目覚めたいです。2016.02.26 15:00
レッスン67愛は私を愛と同じように創造しました。今日の概念は、あなたの真の在りようについての完全かつ正確な宣言です。これが、あなたが世の光である理由です。これが、神があなたを世界の救済者に任命した理由です。これが、神の子が自らの救済を求めてあなたに頼る理由です。神の子は、あなたの真の在りようによって救われます。今日私たちは、あなたについてのこの真理に到達し、たとえ一瞬であってもそれが真理であることを充分に理解するために、あらゆる努力をします。長めの練習時間では、あなたの実相と、その全面的に不変で変更不能な性質について考えます。あなたについてのこの真理を繰り返すことによって開始し、それから、数分を費やして、例えば次のようないくつかの関連した考えを付け加えます。聖性は私を神聖なものに創造しました。親切さは私を親切なものに創造しました。助けになることは私を助けになるものとして創造しました。完璧さは私を完璧なものに創造しました。神が自分自身を定義するままの神と一致している属性であればどのようなものでも使用に適しています。今日私たちは、神についてのあなたの定義を取り消し、それを神自身の定義と入れ替えようとします。 また、私たちは、あなたが神自身についての神の定義の一部であることを強調しようとします。そのような関連性のある考えをいくつか調べた後で、準備のために少しの間すべての考えを取り下げて、それから、あなた自身についてのあなたのイメージや先入観のすべてを通過して、あなたの中にある真理に到達しようとします。愛があなたを愛と同じように創造したのであれば、この自己はあなたの中にいるに違いありません。そして、あなたのマインドの中のどこかで、それはあなたが見つけるのを待っています。気を散らすような考えと入れ替わるように、時々今日の概念を繰り返すことが必要かもしれません。また、それだけでは十分でなく、さらに続けてあなた自身についての真理と関連する他の考えを付け加えることが必要かもしれません。ただし、あなたはおそらくそれも通過することに成功し、何も考えない期間を経て、まばゆい光を自覚するに至り、その光の中で愛が創造したままの自分自身を認識するでしょう。あなたが成功したと感じようと感じまいと、今日は、その自覚を自分に近づけるために多くをなすことになることに確信を持ってください。今日は、今日の概念をできる限り頻繁に練習すると特に役に立つでしょう。あなたはあなた自身についての真理をできる限り頻繁に聞く必要がありますが、それは、あなたのマインドが誤ったセルフイメージにとらわれているからです。1時間に4~5回、あるいはそれよりも多い回数、愛があなたを愛と同じように創造したことを自分に思い出させることは非常に有益でしょう。この中にあるあなた自身についての真理を聞きます。短めの練習では、このことをあなたに告げるのはあなたのかすかで孤独な声ではないことを悟ろうとしてください。これは、神を代弁する声であり、あなたにあなたの父とあなたの自己を思い出させようとしています。これは、真理の声であり、自我があなた自身について告げるあらゆるものを、神の子についての単純な真理と入れ替えようとしています。あなたは愛によって愛と同じように創造されました。2016.02.25 15:00